淵からくるもの

 私の育ての母は、フォマールである。ダークブルーのショートヘアに合わせた同じ色の帽子とローブがお気に入りらしい。顔だけ見るとまだ二十代といった感じだが、実際は三十代である。おっとりとした世間知らずの女性といった雰囲気だが、本当にそうではないことを私は知っている。彼女は最愛の人を亡くしているのだ。そして、死んだ恋人の特徴をプログラムした白いヒューキャストと一緒に暮らしている。…だが、そのヒューキャストに彼の記憶を移植することはなかったらしい。私は、そんな彼女の行動を理解できるが真似はできないと思っている。一言で言うならば、「すごい。」

 今回の依頼は、口外を禁じられていたこともあったが、二人の前で口に出したら最後反対されるのは目に見えていたため、何も話さずに出てきてしまった。危険は承知の上というか、自殺願望だったのかもしれない。

 フォマールが執拗に攻撃を繰り替えす。私は、明らかにとどめをさそうと構えていたスライサーを握り直し、彼女の攻撃をかわし続けた。頭が痛い…吐き気がする……そして、その後のことはよく覚えていない。ただ、彼女が悲鳴を上げながら床に倒れ、煙のように掻き消えたのは見てしまったような気がする。

 私は、右手を静かに開いた。

 私は…いや、ニューマンはヒューマンを憎んでいるのだろうか。望んでいなかったのに作られたことを、作っておいて忌み嫌うことを…。育ての親の二人の顔を思い浮かべた時、私はとても重要な何かを思い出しかけたはずなのだが、今ではその閃きもすっかりしぼんでしまっている。

 私はゆっくりと立ち上がると、通路の先の扉を見つめた。

「ハヤク…コイ……ハヤ…ク…」

 この先に何かが待っている。そのことは確実である。しかし、その何者かに賛同する私と、反発する私がいることも確実なのである。先に進んでいくことは、本当の私になることなのかもしれない。だがそれは、大切なことを忘れてしまうことなのかもしれない。

 私は、スライサーを握り締めると、その扉の前に歩を進めた。このまま逃げ出して、何もなかったことにすることもできる。しかし私は、本当の私が知りたかったのだ。

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更新日:2003年9月8日
管理人:CHI