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■20000228


「ヨコハマ買い出し紀行」を。あと「ミルククローゼット」の立ち読み。

■20000227


「ウイルスの交通」だ、それは。

村上春樹「神の子どもたちはみな踊る」を購入。

■20000225


カードヒーローは、たしかによくできています。丁寧です。懐かしいというのは、つまり「やめなさいよ男子」みたいな幼いノリのことで、そういった文章の整えにもスキがありません。少年少女という世界観(誰の主観に依るものかは言うまでもないでしょう)のうえに、トレーディングカードを乗っけているわけです。いいなあこれ、といい歳した大人が思わずつぶやいてしまうようなソフトだと思います。だから、大人にとってはポケモンよりもわかりやすいはずです。

…実はあまりよい傾向じゃないのかもしれません。本当にわかりませんが。

それにしても、これと同じジャンルのポケモンカードGBはどうだったのか。悪い意味でキャラクター商品になってしまっていた、というのはまあそうなんだろうと思いますが、誰かプレイしたことあります? あ。言っときますと、これに限らずよく聞く「ワゴンセールで何円だった」というのは、買い物情報であって、小売店の仕入れミスであって、それ以上の何かを伝えるネタとして不十分です、はい。

あ。遊戯王てのもありましたね。あれもトレーディングカードゲームという理解でいいんだろうか。だとしたらどうなんだろう、ちょっと気になる。

■20000224


PX-40TS/UWのおでまし。

■20000223


映画千夜一夜(中公文庫)は、ぜんぜん何も知らなくても「ああそれはいいなあ」と「わかる」んですよ。

淀川 コンスタンスは、いいですよ。コンスタンスは、グリフィスの『イントレランス』ではお茶目な娘になったでしょう。

蓮實 『イントレランス』のコンスタンス・タルマッジはとっても可愛いですね。

淀川 可愛いでしょう。いいでしょう。

蓮實 山羊に接吻したりするんですよね。

山田 あ、『イントレランス』の「バビロン篇」の山の娘。

淀川 そうよ。山の娘だから山羊に接吻するとか、ああいうふうにね、当時リアリズムで演技したの。コンスタンス・タルマッジとドロシー・ギッシュは、ものをパッパッと取っちゃう、パッパッと飲んじゃったりするの。それが新鮮でね、なんていいんだろうと思った。当時みんなポーズをつくっちゃうのね、リリアン・ギッシュなんか、ポーズの神様なのよ、恰好がね。ドロシー・ギッシュはもっと自由で、お茶目。同じようにコンスタンス・タルマッジも、何か知らないけど馬車を走らせたり、当時絶対に女優じゃないような恰好するの。こんなふうに頭の上に手をやってみたりするの(笑)。それでもうほれぼれしたの。あんなことする女優いないの。

■20000222
出張あとの休日。

クレイジータクシーみたいなゲームが、セガのクルマゲームの系譜の末端にあるということに、素直に驚くわけです。

ですから標高の違うふたつの山を想像してほしい。クレイジータクシーがああいうゲームであるということと、ランナバウトがああいうゲームであるということは、ひとつのことにならないのです。

「カードヒーロー」「ルーマニア#203」「ビジュアルメモリ」そして「巨人のドシン公式ファンブック」と「マイフェアレディ」のLDを買。

ルーマニアは、想像していたよりもずっとゲームの体裁が整っていました。

■20000220


明日は名古屋へ日帰り出張です。

■20000219


「ヒコクミン入門」「王子様といっしょ!」「1+1=0」を。

今度はDNES-309170UWとフラットケーブルが到着。あとWindows2Kもいちおう買っとく。

カード会社からの明細にランドネットディディが。ついに。

■20000215


「ゲームの話をしよう」は、想像してたよりもデカくて厚くて高い本でした。

セガ・スポーツ。
アーケードのパワースマッシュは、ついに最終ラウンドへ勝ち進むも、あっさりストレートで負け。ドリームキャストのNFL2Kを買う。メガドラのジョー・モンタナ以来だからたぶん九年ぶり。

PC-9821Xa13/W12(中古)が届く。

■20000210


「なんだ知らなかったのか」と言われ、あわてて本屋へ。「犬狼伝説完結編」を。

■20000208


ドラゴンクエストというのは個人的にどんなゲームだったか、と思い出そうとしています。ええ。

当時、私はファミコンを買ってもらえなくて、もっぱら友人の家や親戚の家に押しかけていました。だからドラクエも近所に住んでいた友人ちに通いつめてクリアしました。

もう薄ぼんやりとしか覚えていないのでアレですが、アレフガルドという世界を自由に探検するといった趣で、しばしば本筋をそっちのけにして、ミヤ王だかパフパフ娘だかを探したり、犬に話しかけて「ワン!」と吠えられたり、意味もなく町中を隈なく歩いたりと、その世界の大きさというか包容力に身を任せてゆったりと遊んでいただろうことはあっても、一本道で盲導犬に引っ張られていくようなお使いゲームだとは思っていなかった、というのが実際の体験だったのではないかと思います。

むろん私はべつにドラクエの真実を語りたいと願っているのではないし、お使いゲームという分析を正しいものとして理解することになんのためらいも感じませんが、そんなふうにしてゲームの評価や分析が「落ち着く、定着する」というのはどういうことか、というようなことを考えているのです。

というのも、この「落ち着く、定着する」へと至るプロセスが、かつてなかった程の早回しで完了しているのではないか、といった印象を最近とくに強く感じていて、それは洗練だとか成熟だとかよりも「若くして死ぬ」ような早死にのイメージに近いのではないかとすら思えることに、漠然とした不安を覚えるのです。

■20000205


「映画千夜一夜」とか「ヒカルの碁」とか。

■20000203


ビジュアルメモリ*3、ポケットステーション*1。の電池をまとめて交換した。


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