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■19980731


ゲームは錯覚です。2Dあるいは3Dというような表現上の区分は、ゲームはすべて錯覚であるという前提を、しばしば覆い隠します。そのような隠蔽から生まれるもののひとつ「リアルであるということ」は、表現上の区分について実は無関心です。3D表現は、あたかも自分がその空間に位置しているかのような錯覚を起こさせます。一方、2D(擬似3Dも含む)表現は、あたかもその空間(奥行き)がテレビ画面の方からこちらに流れ出してくるかのような錯覚を起こさせます。したがって、どちらがより中毒性の高い錯覚であるかを考えることで、ゲームはすべて錯覚であるという前提を隠さずに、ゲームの映像表現を再定義することが可能だと思います。

■19980721


ふたたびテクノドライブ。もうずいぶん古い話題らしいのですが、石井氏の「ゲームにしようとしていない」という感想は、反論する熱意さえ凍りつくような、退屈な空言です。したがって、編集者としての彼の力量については憶測以上のことはしゃべれませんけれど、言葉の使い手(ライター)としての力量についてならば、いくつでも疑問符をうつことが可能だと思います。では、少なくともその力量を疑われないために、彼はテクノドライブをどう扱えばよかったのか。前提として、彼に「ゲームにしようとしていない」と感じせしめた動機(感想以前)の部分をそのまま流用しつつ、彼は次のように言うべきだったのです。「このゲームは、勝手にしろとでもいう外はない傑作である」と。

■19980716


蒼天の白き神の座。天候、高度、キャンプ、滑落、遭難、救助。プレイする前からどんどん妄想がふくらむ。そういうゲームは意外なほど少ない。(妄想のふくらむ余地に乏しい数多くの例のひとつ)デコトラ伝説、ああそうかなるほどね、でおしまい。

■19980714


トレジャーから予約キャンペーンのCDが送られてきた。ゲームデザインがどうこう以前に、このゲームは事件性を持っている。シューティング会社がつくる良質のシューティング、という誰もが信じて疑わなかった風景を、トレジャーはこのゲームで一挙に相対化してしまった。

■19980713


テクノドライブ。ゲーム中は音楽がひと続きに(という表現が妥当かどうかは不明)なっている模様。そういうゲームはこれまであまりなかったと思うので、たぶん画期的。ゲームそのものにも不満はない、流石。

■19980712


本日がほんとうのメモ帳公開日。つまり二日分水増ししてアップロード。こういう形式でも、いずれは更新が滞るのだろう。非凡でもないくせにどうかとは思うけど、とにかく平凡さをウリにしたくない。

■19980711


タイムクライシス2を初めてプレイする。前作よりも遊びやすくなっているが、遊びやすさが全体的な評価の底上げとはならないことを再確認。むろんこれでも悪くはないと思うが、タイムクライシスになっていない。リッジ→レイブのようなタイトル変更をどうして考えなかったのか疑問。

■19980710


できるかぎり頻繁にページを更新するためにはやっぱりこの方法しかないと悟る。残念。


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